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航空機工場と私 【1】 

 航空機工場と私 【1】 


 ペンネーム 長尾 悠司


 入社の日


 昭和17年4月1日の午後、水島航空機製作所に就職するために、私は着替えを詰めたトランクを提げて、柳川の交差点から路面電車に乗って岡山駅へ急いだ。
 駅前には三菱の旗の傍に職員3人が新入社員を待っていた。

 知り合いのK君が、私を見付けて、
「ヤァー集合時間に間(ま)に合って、よかったなー」
「うん、皆集まっているなぁ、後どれぐらい待つのかな」

 暫くすると集合の笛が鳴り、職員は皆の顔を見ながら整理番号と氏名を順番に読み上げるので、該当者は大きな声で答えてほしい。
「一番の A君」
「はーい」
と、言ってA君は前に出る。

 一人の職員が名簿と照らし合わせ一人づつ順番に確認している。
 全員の確認が終った後で係員の指示に従い改札口を通り一番ホームに入り少し待つと列車が入ってきた。
 係員の指示に従い乗りこんで暫(しば)らくすると、ベルが鳴り列車はゆっくりと走り始めた。
 窓から外を見ると岡山の街が、だんだんと離れて行く、なんだか寂しさを覚えた。

 生まれてから、今日まで岡山の町で遊びながら16年間を嬉しかったこと悲しかった思い出など、いろいろの体験を経験しながら過ごした町と、お別れして今晩から新しい団体生活が始まるかと思うと寂しさと不安とが交差して複雑な気持になった。

 気を紛(まぎ)らわすために、列車の窓からボンヤリと外の景色を眺めていると、三菱重工業で製作される航空機は、どのような機種であろうかと考えた。
 戦闘機、偵察機、爆撃機、雷撃機など、色々な機種の航空機を想像しながら私の大好きな飛行機が作れるのだと、珍しさと好奇心で思いをめぐらし夢のような気持ちだった。


 やがて、列車は倉敷駅に到着したので改札を出ると、駅前は黒山のような人だかりで、今日一日で中国地方、四国地方から約1500人ほどの養成工の一期生が倉敷駅前に集まり順番にバスに乗せられて水島に向かうのだ。

 私たちは一時間ぐらい待たされていたが、ようやく順番が回ってきた。
 バスが迎えに来たので乗り込むと、南の方向に向かってデコボコの砂利道をガタゴトと小刻みに跳ねながら、砂煙を巻きあげて走っていた。 
 連島町の水島に向かって40~50分走った頃に右手前方に亀島山が、その3キロぐらい東に2階建の大きな6棟続の寮が二つ見えてきた。
 私達の乗ったバスは第1東寮の正門の前に止まった。
 バスの窓から外を見ると私服姿の若者が大勢いる中に、三菱のマークの付いた制帽を被り制服姿の数名が歩いていた。

 その姿を見て誰かが叫んだ。
「先輩たちが大勢いるぞ、しごかれるぞー」
 それを聞いた係員は、
「岡山からの諸君も、外の制服姿の生徒も同じ一期生だよ」
と、聞かされて皆は、ほっと安心したようだ。
 バスから降りると係員から集合を知らされる。

「岡山から乗ったグループは、これから支給品を受取るので一列に並んで下さい」
 支給品は制帽、制服、ゲートル、合成皮の靴、戦闘帽、作業服、シャツ、ズック靴などを受け取った。
 中には、帽子が大きすぎる、とか小さいとか、言って交換を求めるものもいた。
 係員の指示にしたがって整列すると、今度は舎監に引率され寮内で用紙を見ながら各自の部屋を割り当てられた。


 寮生活

 夕方になると、集合ラッパが鳴って、全員を寮庭に集めて寮長の訓示が始まる。
「皆さん遠路はるばると、ご苦労さん。此処が三菱重工業の水島航空製作所の第一東寮なので、今晩から皆は寝食を共にすることになるが寮の規則だけはよく守ってほしい」
 寮長は、さらに付け加えて話すのだ。
「君たちは明日から航空機を製作するために必要な知識を青年学校で学び、実習工場では鑢(やすり)と鏨(たがね)の基本訓練が始まる。この戦時体制下(か)の中で君たちは三菱の航空機を製作する為の基礎を、しっかりと身につけて本工場が完成すれば君たちが、お国の為に必要な大切な海軍の航空機を作るんだ」
 各自は部屋割りと寮の規則を書いたパンフレットを、事務員から渡されて簡単な説明の後で解散後、部屋に急いだ。

 ローかでは、舎監が寮生を部屋の前で皆に話して聞かせる。
「18畳敷きの部屋に6名が定員だが、第1西寮の完成が後れて、10日ほどの間は各部屋では12名になるが我慢してほしい」
と、舎監が寮生たちに話して聞かせた。

入浴後は、夕食を済ませ部屋に戻り皆でガヤガヤと雑談が始まるが、それぞれのお国なまりの言葉で話すので聞きづらかった。

 9時半になると、ローカで舎監が大きな声で、
「第2班、全員整列 これから点呼を行う」
 部屋の前の廊下に一列に並んで点呼を受ける。
 各部屋長が、
「番号」
「1・2・3・・・・・・・・12」
「第2班、8号室、総員12名全員異常無し」
「よし」
 舎監に報告の後は部屋に戻り、雑談後には各自で布団を敷き寝床に入った。10時になると消灯だ・・・・・。


朝、起床ラッパの音で目を覚まし飛び起きたのは5時半だった。
 布団を畳んで整理し、駆(か)け足で寮庭に集合すると点呼が始まった。
 各班長が、
「番号」
「1・2・3・4、・・・・・・・・・60」

 各班長は番号準に確認しながら最後尾まで行って員数を確認すると、駆け足で元の位置に戻り、また駆け足で寮長の前に行き、1班から順番に寮長に報告する。
「第2班、総員60名全員異常無し」
「うん、ご苦労」。
と、寮長は1班から各班長からの報告を受けた後て、寮長の短い訓示始まり、後で全員は上衣とシャツを脱いで上半身真裸で、海軍体操が始まり・・・・終わると、各班ごとに整列して早駆けで第1東寮を1周してから、上着を着て全員が再び整列する。   
 点呼を受けた後で解散、部屋に戻り朝飯の出来るのを待っていた。


 6時過ぎに、厨房(ちゅうぼう)員が鐘を鳴らして回る。
「カリン・カリン」。
 鐘の音が聞こえると誰かが叫ぶ、
「飯が出来たぞー、早く食べに行こうー」
と、叫ぶと、われ先にと急いで食堂の前のローカに順番に並び厨房員が食券の日 付けにパンチを入れると、飯の入ったアルミの食器と味噌汁の入った食器を受け取り、両手に持って空いている食卓の前に座って食事をする。

 食事が終わると水の入った桶の中に食器を入れ、厨房員からアルミの弁当箱と水筒を受け取り部屋に戻り、出勤の準備が始まる。
 7時過ぎに会社に向かうが青年学校・実習工場・体育館・病院だけで、本工場らしき建物は何も無かった。


 青年学校と実習工場

 青年学校では朝の8時にサイレンが鳴ると、学校の北側の運動場に集合し校長先生の短い訓示の後で、各先生方からパンフレットが配られ1ケ月間の授業予定が示されていた。      
 1週6日間の内で2日間は青年学校で学科・教練・製図の授業を受ける。

 2日間は実習工場で鑢(やすり)と鏨(たがね)の基礎訓訓練が始まるが、実習工場では1週間に4日だが、2日間は指導員も半数が不足して実習工場も不足していたので行軍で足腰を鍛えるのだ。
 各班は1名の指導員に60名が引率されて別々の方面へ弁当箱と水筒を身に着けて足腰を鍛える為の行軍だが、私達には遠足のように楽しかった。

 水島の沖では海上に浮かべた数10隻のサンドポンプ船が海底までパイプを下し砂と粘土を海水と一緒に吸い上げて大きなパイプを浮かべ堤防の外側に排出していたのだ。
 砂と粘土はその場に残り海水は砂地の上を流れて元の海へ戻し陸地を広げているのだと、指導員の説明では、本工場を建てるために海上に工場用地を拡張中なのだと話していた。


 青年学校

 青年学校では時間割通りに授業が始まるが、教練の時間には少尉殿から2時間連続で38歩兵銃を持って軍事教練を受けていた。

 製図は三角画法で物体を1枚の用紙に上から、正面から、横から見て3ケ所の図面に描き寸法はすべてミり単位で書くようにと教えられた。
 技師の先生から、水島で製作される飛行機の機種は「 G4M2 」という双発の攻撃機で、海軍では一式陸上攻撃機と呼んで爆弾か航空魚雷を搭載出来ると教わった。

2012年8月 記

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航空機工場と私 【2】 

 航空機工場と私 【2 


 ペンネーム 長尾 悠司


 不沈戦艦

 昭和16年12月8日に仏領インドシナ(ベトナム)のサイゴンの近所にある3ケ所の飛行場から、真珠湾奇襲攻撃の日にもシンガポール近辺の飛行場を爆撃した。2日後には一式陸上攻撃機と九六式陸上攻撃機の数10機ずっが航空魚雷か爆弾を搭載してマレー沖海戦に参戦し攻撃を繰り返し遂にイギリスの不沈戦艦プリンス・オブ・ウエルスと巡洋戦艦レパルスを撃沈して戦果を挙げて一躍有名になった機種なのだと教えてくれた。

宣戦布告新聞

 色々と話を聞かされている間に私たち養成工の皆は興味をもって聞き入(い)って自分たちも(G4M2)一式陸上攻撃機を早く作りたいと、思いは弾むのだが航空機の製作工場は建設中だった。


 マレー沖海戦の話

 養成工の1人が先生に質問をした。
「先生、12月8日に日本軍は真珠湾奇襲攻撃を決行し、2日後の12月10日には一式陸上攻撃機と九六式陸上攻撃機は日本と米英と大東亜洋戦争が始まってすぐに、なぜ、マレー沖海戦に参加出来たのですか」
 生徒は不思議そうに質問した後で先生の顔を見ていた。
「いい質問だな、お答えしょう」
「実は、仏領インドシナのベトナムはフランスの植民地で、ドイツに敗れたフランスは新しい親独派の政権が確立されたので、日本はフランスの親独派の政権者と交渉の結果、16年7月頃から仏印の都市サイゴンの近くにある 3箇所の飛行場を借りて海軍の航空基地から中国の国内にある南部の都市とビルマルートを爆撃して破壊していたのだ」

と、話して先生はさらに色々と話を聞かせてくれた。
「9日の夕方、探索中の潜水艦からシンガポールの西の海上に戦艦らしき2隻を発見した」 
 航空基地では暗号無線を傍受したので何時でも出撃が出来るように夜遅くまで攻撃機に爆弾と魚雷を装備して待っていたのだ。

「10日の朝早く索敵機から戦艦2隻発見の無線が入るや、各隊は基地を飛び立って敵の戦艦を発見し爆弾と魚雷で攻撃したのだ」
 先生は見てきたように話すので戦いの様子がよくわかる。


 ポムポム砲

「プリンス・オブ・ウエルズルの防戦も素晴らしかったそうだ。ポムポム砲と言って25リの機関砲を8門束ねて打ってくる中を勇敢に数10機の一式陸上攻撃機の編隊は爆弾と魚雷攻撃を行い次々と波状攻撃を繰り返して2隻共撃沈したのだ」

「軍艦の前後と左右の4ケ所に増設された最新式のポムポム砲は8門の25ミリ機関砲が一斉に発射されると帯のように砲弾が白く長い尾を引いて航空機が白煙の弾幕で撫ぜられると、航空機は発火して燃え上がり墜落したそうだ」
 生徒は、実戦さながらの話を先生から聞かされて航空海戦の  場面を頭に描きながら聞き入っていた。
「戦艦の甲板に8連装のポムポム砲の架台が4基別々に各方角に射撃が出来るように増設されていたそうだ」

 また、日本軍にとって運が良かったことは、イギリス軍の戦闘機は2日前に日本軍に奇襲爆撃で飛行場と施設が爆撃を受けていたので姿を見せなかったそうだ。
「マレー沖海戦は日本の航空機とイギリスの軍艦との戦いで、イギリス極東艦隊の旗艦プリンス・オブ・ウェルズと巡洋戦艦レパレスの2隻を撃沈したのだ」
生徒たちは、航空機と軍艦の戦闘場面の話を聞いて日本軍の航空機は優秀なのだと、三菱の技師の先生から航空機がこのような大戦果を挙げた話を詳しく聞かせてもらって私たちは三菱に入社して良かったと皆は喜んでいた。


 実習作業

 実習工場では60名の生徒を5名の指導員が教えるのだが、10ミリ厚の鉄板をバイス台に挟んで、鑢(やすり)を水平に保って握り、指導員の笛の合図で前方に押し出して鉄板を削るのだが鑢が上下に動くので水平に保って削るのが難しかった。

 撥(はつり)り作業は鏨(たがね)の頭をハンマーで叩き、バイス台に挟んだ鉄板を鏨の刃先で切断する作業だが、鏨を左手に握って鉄板に当て、右手にハンマーを握り締(し)めて、鏨の刃先を見ながら指導員の笛の音に合わせて振り下ろせと言う。
「ピィーピ」・・・「ピィーピ」
 指導員の吹く笛に合わせるようにと言うのだが、不揃いで連続で振り下ろすのだが、

「ピーィ、ガガチャン」「ピーィ、ガガチャン」。
 音がうまく揃わない。
「音が揃ってない、皆は気合いが入ってないぞー」
と、指導員は大声をあげる。
「音が小さい皆は、たるんどるぞ、力が入っていないぞー」
 新米の我々に無理なことばかり言って養成工を困らせる指導員たちだ。

 時間が経つにつれて右腕が疲れ、ハンマーが鏨に当たらなくなると自分の左手を右手のハンマーで力一杯叩くのだから大変だ。
 叩くと、左手は痺(しび)れ、ハンマーと鏨を作業台の上に放り投げて慌てて右手で左手を庇う、中には余りの痛さに屈みこんでしまう者もいる。
 傷ついた左手からは血が滴リ落ちることもあったが、自分で手ぬぐいを割(さ)いて左手に巻きつけ応急処置をして、また、ひたすらにハンマーを振り続けるのだ。

 生徒の中には、自分たちは三菱の養成工で飛行機を作りに来たのに、なんでハンマーと鏨で、このような単純なキツイ訓練ばかりやらされるのかと、陰で不満を言う生徒もいた。
 17時に作業終りのサイレンが鳴ると、皆は、ほっとした表情で顔を見合わせ、ニヤッと笑顔にもどる。


 下士官が寮の舎監

 寮に帰ると食事をすませて、各自は部屋に戻って雑談とか、入浴、下着などを洗いに洗濯場に行く者もいる。
 娯楽室には飲み食いは出来ないが、ラジオ・新聞・各国の軍用機の写真集など他にも色々な書物も沢山あった。

 寮の団体生活では舎監が大変厳しかった。
 寮生を管理するために陸軍の猛者の中から軍曹、上等兵の下士官を集め、6名を選び出し寮の舎監に採用したのだ。

6 棟の1,500名の寮生を管理するので舎監は違反者を毎日1名づつ見つけ出して、6部屋×12名=72名の寮生たちに厳しい体罰を加えるのだ。
「歯を食いしばれ」
と言って、順番にシゴキを入れて回るのだが、毎日、6部屋の寮生に体罰を加えれば、寮生の管理がし易(やす)くなる、と会社から指示されていたようだと話す寮生もいた。

 寮庭で朝の点呼が終わると舎監たちは寮内に戻り各部屋の戸を開けて回り整頓が悪い布団一組を見つけ出すと部屋の真ん中に放り出すのだ。


 舎監に扱かれる

 寮庭から、部屋に戻ると部屋の前で舎監が待っている。
 舎監は厳しい表情で部屋の12名に向かって、
「廊下に整列」
 部屋の12名を整列させると、
「整理整頓が悪いのは誰の布団だ!!」
と、言った後で整頓のわるい生徒に、

「誰の布団だ、前にでろ」
 履いていたスリッパを脱ぐと両手に握り、いきなり、
「貴様たるんどるぞー、歯を食いしばれー」
と言ったかと思うと3発続けて殴り部屋の12名に向って、

「今夜8時に部屋の前に整列して待つとれ」
 と言って帰っていった。
他の寮生に見せしめのために扱(しご)くのだが、朝は出勤時間が迫っているので1人だけが罰を受けると解放される。


 対抗ピンタ

 午後の8時に、廊下に整列して待っている12名に大きな声で今朝の布団の畳み方が悪いと説教が始まる。
「同じ部屋の君達は、1人の男の面倒が見てやれないのか」   
と、喝(かつ)を入れて全体責任をとらされる。
 12名を廊下に並ばせて、スリッパのピンタが三発づつ順番に飛んでくる。
 その後で、2列に並ばせ向かい合わせて対抗ピンタに変わり、お互いのホッペタを交互に平手で叩(たた)き合う体罰が始まる。
「貴様らは、たるんどるぞ音が小さい、もっと大きな音を出せ」
 一人のために、1部屋全員の顔が赤く腫れあがり、あまりの痛さに涙ぐむ者もいた。


 毎日順番に体罰

 なぜこんなに激しく罰するのか、1棟分が120名の管理なら1名の舎監で楽に管理できるのだが、2倍の240名を一人で管理する為には舎監たちは申し合わせたように毎日順番に、1部屋づつしごきを加えるそうだ。
 昨日は1階の部屋、今日は2階の部屋と別々の部屋を飛び石伝いに、シゴいて回るのが日課のようだった。
 舎監たちは10日間だけは、2倍の寮生を管理させられるので、特に厳しい罰を与えているのだと言う者もいた。





脱走者



あまりの厳さに耐えかねて、寮生の中から脱走者が夜逃げを始めたのだ。

朝の点呼の時に班長が、第1班2名不足と寮長に報告し他の班も1名不足と4班の各班長が寮長に報告していた。

脱走者の部屋で残ったものは、集合させられ寮長から厳しい説教を聞かされ終った後は、寮庭の隅で各舎監からの説教が始まる。

6名の舎監は逃亡者の部屋の10名~11名を並ばせて、

「なぜ皆は、逃亡者に気つかなかったのか」

と、前に来て1人1人の顔を見ながら順番に舎監は怖い顔で質問を繰り返し寮生たちを脅(おど)かすのだ。

「貴様らは同じ部屋に居て脱走者が夜逃げをしたのに知らぬとはおかしい、もしも知っていて隠したのがバレた場合には貴様らも同罪になるのだぞ」





寮長の怖い訓示



後日、寮長は全員を集めて話して聞かせる。

「三菱重工業水島航空機製作所は海軍の管轄下に置かれて生産する飛行機は海軍航空隊に期日までに引き渡すのだ。どんなことをしてでも、必ず間に合わせなければならない」工事中の本   工場建設も、完成期日までは海軍の管轄下あるのだと言う。

「現在の航空機の製作工場の建設工事は大林組が突貫工事の最中で昼夜働兼行で働き工期までに本工場を完成させる為なのだ」
 寮長は力を入れて話すのだ。
「君達一期生の養成工は青年学校と実習工場で所定の教育を受けて本工場が完成すれば適正検査を受けて自分の能力と素質とで職種が決まり。製図、機械、板金、集成部品、溶接、検査、組立工とに別れて各職場に配属になるのだ」

さらに、寮長は話を続けるのだ。

「また、南方の最前線では戦闘が続いて航空機足らない戦地の将兵が今一番待ちのぞんでいるのは航空機なのだ。その生産に従事している君達が、日本の国の為に大切な仕事をしてもらう養成工なのだ。自分の身勝手で任務を放棄し脱走するとは非国民も甚だしい」

寮長は怒り顔に変わり寮生に向かって厳しく語る。

「海軍監督官の手元に脱走者の報告書が回り審査の結果、悪質者と決まれば恐ろしい体罰が下(くだ)されるのだ」





軍艦島の話



長崎の沖にある同系列の三菱鉱業の石炭を掘出す島で端(は)島(じま)(軍艦島)に数ケ月間転勤させられて、強制的に石炭を掘る作業に従事させられるのだと言って寮生達を怖(こわ)がらす。
「毎日、穴の中で石炭を掘り進んで行くのだが、坑内では火気には特に気を付ないと、いつガスが噴出するか分からないので危険なのだ」
と、坑内では危険と隣合わせの話を聞かせる。
「作業員は500~600メートルの地底に降され横穴を掘って石炭の層を採炭しながら進んでゆくのだ」

と、怖い話を聞かされたので部屋に戻っても不安な気持ちになって皆は寮生活の規則だけは守ることにした。



2012年8月 記

航空機工場と私 【3】 

航空機工場と私 【3】 



ペンネーム 長尾 悠司



行軍の日だ



今日は実習日で行軍の日だが指導員が工場にあるバケツを2個提げて、呼松方面へ行くのだという、生徒には何のことか分からないが指導員に連れられて歩いていると海岸に出た。

南の沖には浚渫船はいない、南は水島灘で水は綺麗だったが西の遥か彼方に小さく数10隻の浚渫船が浮かんでいた。

私たちは綺麗な砂浜を歩き足腰を鍛えるのだが足が怠(だる)い乾いた砂の上を行軍していると指導員が休憩すると言ってくれた。



指導員が話を始める、名古屋の大江工場ではA6戦闘機を製作していたのだと言っていた。

生徒のK君が聞いてみた。

「先生、A6戦闘機の性能はどんなの」

「航空母艦用に開発された0式艦上戦闘機の馬力は1000馬力級で最高時速は550㌔で優秀な戦闘機だよ、機体を軽量化して戦闘機の中では高続距離が長く、20ミリ機関砲2門7,7ミリ機銃1丁又は2丁を装備し、一般ではゼロ戦と呼ばれていたのだ」





航空機工場の敷地



指導員は東洋一の航空機工場を建設するために、三菱が買い占めた土地が゛広すぎて近くに民間人の家が無いために買い物に苦労し不便な場所だと言う、この海岸一帯も三菱の地所で本工場地になっているので海軍の管轄下なので民間人は立ち入り禁止地区になっているのだと言っていた。

いろいろと話しを聞いて、養成工のわれわれも指導員の家族の方々も不自由しているのが分かるようだった。





砂浜を行軍



指導員が整列と言って、行軍が始まったが、砂の上は歩きにくいが、一回(ひとまわ)り歩いているのだが、昼飯の時間が近ずいてきたのか腹の虫が鳴き始める。

指導員がそろそろお昼にしようと言ってくれたので各自、待ちに待った昼食を食べる。

午後の行軍が始まる、腹は良いし元気を出して歩くのだが砂の上を歩くのは大変でも戦場に行ったら歩き憎いでは戦争に勝りない。

 



名古屋から転勤



今年の3月に岡山の水島工場に10数人が指導員として家族を連れて転勤になり社宅に住んでいるが、名古屋では買い物は店屋が近くにあって便利が良かったが、水島は不便で困り不自由しいるのだと話していた。



帰る前になって指導員は、

「今日は、砂浜を掘ってみて、堅いものがあったら、バケツに入れて欲しいと言う」

誰かが、

「先生ハマグリでしょうと言った」

「そうだよく知っているなぁ、ハマグリを拾って近所にお配りしょうと思ってバケツを用意してきたのだ」

砂浜を少し掘ってみると、大きなハマグリが手にあたる。

このあたりの海岸は三菱の土地で軍用工場地帯なので、一般の人々は立ち入り禁止のために入れないのだ。

あっという間に2個のバケツはハマグリで一杯になった。

指導員は、大きいハマグリだけをバケツに半分入れて、小さいのは捨てて帰るといってハマグリの上に軽く砂を撒いて皆は交代で提げて帰途についた。





給料日



入社して10日目を過ぎた頃には第一西寮が完成したので、寮生の半分は隣の寮に引越をした。

第一東寮は6人部屋になったので快適な寮生活が始まった.舎監から毎日布団の整理整頓で罰を受けることも少なくなって脱走者も減った。



入社日から25日目の今日は楽しみの給料日だ。

4月分の給料計算は毎月20日が締め切りで25日が支給日で貰うまでは、ワクワクしていた。

給料袋を渡されると寮に帰り、皆は一斉に袋を開けて自分の給料の計算を始める。

給料袋には10円札(猪(いのしし))が1枚と小銭が数枚入っていた。

明細書を見ると、4月1日~20日締めで、給料の計算書は日給制で1日○○銭×17日=○○円、寮費○円、食費○円、健康保険料○円、厚生年金の積立金が○円(会社半額負担)差し引○○円○○銭、私は初めて頂く給料なので嬉しかった。

三菱の厚生年金制度は会社が半額負担で昭和17年度から始まったので退職しても老後になってから支給される有りがたい年金制度なのだと教えられた。



日曜日には洗濯を済ませてから、数人で亀島を通って高梁川の堤防の道を歩いて連島の町に遊びに行った。

うどん屋を探すが、多くの寮生たちが町に出ていたので食べ物店には売り切れの札が入り口にかかっている店が多かった。





盗んだ握り飯



食べ盛りの年頃なので、寮生たちは一膳飯では足りない。

夜になると寮生は腹が減るが、三菱重工業が膨大な敷地を確保していたので民間人の店屋は無い食物を売っている店も無かった。

誰となく食堂の厨房(ちゅうぼう)に行って盗食する話が持ちあがるのだが、話だけで実行は出来ない。

皆は腹を空かしていても勇気はない。



♪・・・いやじゃありませんか

     三菱はーかねの茶碗に竹の箸

ほとーけさまでもあるまぃに

いちぜんーん飯とは情けなゃー・・・♪



今夜の月明かりは薄暗くて丁度良い晩だ、盗食に行くか、そんな、ある日のこと真夜中に腹が減った何か食べたい、寝られないので6人で話していると、

「トン トン」

と、軽く、戸を叩く音が・・・。

耳を澄ますと、小さな声で、

「握り飯は要らんかぇ」

そーっと、戸を開けると、隣の部屋の中田君が新聞紙の包みを抱えて入って来た。

「握り飯を食うか」

6人は揃(そろ)って、首を縦に振り、

「うん、食べるで」

大きな握り飯が6個と、沢庵が一本入った新聞紙の包みを渡してくれる。

中田君は、罰が悪そうに、

「実はな、あまり腹が減ったので、自分達の部屋の6人が舎監の目を盗んで食堂の厨房から飯を握って盗食してきたのだ」

見つかれば、部屋の全員が盗食者としての罰を受ける。

「舎監に見つかれば怒鳴られ、殴られるのを承知で決死の覚悟で盗食をしてきたのだ」

と、言って聞かせたので、

「うん分かった」

私たちは借りを返すことにする。

「中田君の部屋に借りが出来たのだから、今度は必ず握飯を持って行くからな、楽しみに待っていてくれ」

帰り(かえり)際に中田君は、

「今の話を部屋の皆に伝えるからな、今度は是非頼むで」

食物(くいもの)のことになると、しっこく念を押しながら部屋を出ていった。



悪い事とは知りながら薄暗い部屋の中で、腹が減っては我慢が出来なかったのか、空腹に負けたのか、6人は、旨い握飯だと言って沢庵も1本平らげてしまった。

皆は、飯粒の着いた指先を順番に舐(な)めたあとで・・・・・ニコッと笑顔で満足そうに顔を見やわせて、一斉に声を揃えて

「アー美味しかった」



2012年8月  記
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B24B24

Author:B24B24
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